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2018年12月定例会 一般質問(赤星ゆかり)

カテゴリー: 議会報告

日本共産党 赤星ゆかり

はじめに、9月議会で時間切れとなって最後まで聴けなかった、

1、富山大空襲について 質問します。

富山大空襲は、174機のB−29から111分間に渡って市街地が無差別爆撃され、およそ52万発の焼夷弾が降り注いだ。畳16枚に1発、中心地では畳1枚に1発の割合だったと言われています。「市街地爆撃目標区域」の99.5%を焼失し、全国一の“焼夷率”で、想定約3000人の方が犠牲になった。日本の地方都市の空襲でも最大の被害でした。このことは、もっともっと富山市から、内外に発信して行かなければなりません。

富山大空襲について、市長は9月議会で「アメリカの戦争犯罪だと僕は思っています」と少し、触れられました。

(1) 米軍による地方都市への空襲の中で最も酷かった富山大空襲についての市長の受け止めを、まず伺います。

9月議会で、8月12日に北日本新聞社と富山テレビ放送の実行委員会主催、富山市が共催で開かれた「Think & Imagineオリバー・ストーンと考える未来の富山」について、市長は「オリバー・ストーン(監督)の招聘には、私のほうから積極的に働きかけもしました」と少し語られましたが、

(2)オリバー・ストーン監督の招聘に込められた市長の想いを伺います。

(3)そのイベントでストーン氏は「素晴しい未来を築くため、歴史の教訓に学ぶことが大切」と、ピーター・カズニック教授は「日本の人、富山の人には(大空襲を世界に発信する)特別の責任がある」と指摘されました。これを市長はどう受け止め、どう応えますか。

「富山を攻撃したのは、サイパン島・アイズリー飛行場配備の第73航空団所属の190機中173機(出撃は182機。これに他の航空団の1機を加え、174機)(通常の出撃率は76%)。1945年8月1日は、米陸軍航空軍の第38回創立記念日だとして、この日の爆撃は「最大努力」と指示され、1機あたりの爆弾積載量は7.6トン(通常は6.7トン)、富山には8.4トンに及んだ」ということで、B29の数も、投下された焼夷弾の量も、特別に最大だった。米軍の資料をもとに、富山大空襲を語り継ぐ会のみなさんが詳しく調べてH.P.で公表しておられます。こういうことは、市としてやらなければいけないことではないでしょうか。長岡市は、こういう史実も調査してまとめている。映像資料として長岡市戦災資料館で、訪問者にまず見せています。

富山市として所蔵している富山大空襲の資料はわずか12点である、ということにたいへん驚きましたが、9月議会の質問の後、いろんな人からも驚きの声が聞こえてきました。

(4)富山大空襲の資料を広く市内外に呼びかけ、市として収集し、富山市郷土博物館以外の場所を設けて、常設展示すべきだと思います。市長の見解を改めて伺います。

(5)富山城址公園の中に、県と市によって昭和49年8月1日に建立された戦災復興記念像(天女の像)があります。現在、城址公園の北西の端に置かれています。多くの人の目に触れにくい場所ですし、存在を知らない市民も多いのではないでしょうか。

大空襲の「爆撃中心点」だった城址公園南東の角地に移設を求めて、僧侶を中心に集まった「富山大空襲を考える会」のみなさんが、署名活動をされています。私も、市民の平和への願いのシンボルとして移設すべきと考えます。見解を伺います。

2、公共交通の拡充について 質問します。

(6)コミュニティバス(地域自主運行バス)への支援について

住民と交通事業者との連携で、呉羽、水橋地域に続いて3つめの新たな地域住民主体の地域自主運行バスの計画が、堀川南校区でまとめられました。来年の運行開始の予定とお聞きしています。バス実現に向けてご苦労された住民、関係者のみなさまのご尽力に心から敬意を表します。

このような取り組みに対する市としての支援と、「富山市地域公共交通網形成計画」への追加・修正についての考えを伺います。

(7)富山地鉄不二越・上滝線への路面電車乗り入れについて

引き続き検討するなかで、課題解決の見通しが立ったものはあるのか、検討の状況について伺います。

(8)上滝線の駅へのアクセス改善は、路面電車乗り入れとは別に、安全性の確保のため急がなければならないもの。

(9)また、自転車置場設置など住民の利便性向上への取組みで、市として着手する考えはないか伺います。

3、学校給食と地産地消について 質問します。

11月7日付の北日本新聞で「県産食材3年連続減」と大きく報道されました。

(9)富山市の学校給食用物資のうち、野菜と果物で市内産及び県内産のこの5年間の供給量の資料をいただきました。市内産は平成25年度の6.6%から、6.7、4.7、4.8、昨年度は5.0%。市内産を含めた県内産では14.6%から14.9、14.0、13.4、12.3%の推移です。この現状をどう評価していますか。

平成30年度富山市学校給食献立作成基本方針の中で、

3 食育に関する教材として活用できるよう工夫する。

  • 伝統的な食文化の体験と郷土への関心を深めるため、「きときとランチ」を年5回程度実施し、季節に応じた行事食や郷土料理等を積極的に導入する。
  • 健康によい食習慣の習得や、食に対する意識の高揚を図るため、「かみかみ月 間」、「食育推進月間」、「給食週間」を実施する。
  • 「食」や「栄養」への関心を高めるとともに、児童生徒の自己管理能力の育成 を図るため、選択献立を年4回程度実施する。
  • 地域の自然や文化、産業等に関する理解を深めるとともに、生産者の努力や食 に関する感謝の念を育むため、地場産物が積極的に使用できる献立に努める。

とあります。とてもだいじなことですね。

今年度2学期に使用する給食の食材の資料をいただきまして、その品目一覧表を見ていると、

(10)南米ペルー産のグリーンアスパラ、エクアドル産カリフラワーやブロッコリー、タイ産の白玉餅、台湾産の枝豆むき豆などが使われています。

なぜ、わざわざこうした輸入野菜を使っているのでしょうか。輸入食材をできるだけ減らすべきではないですか?

3年前に質問した時と同じなんです。私は、3年前の9月議会でも「こういう輸入食材を減らして、できるだけ国内産や県内産の食材に置きかえていくべきではないですか」と質問しました。

そのときの麻畠教育長は、「現在、給食費ですが、1食当たり、小学校で260円(現在274円)、中学校で307円(現在323円)で実施しているところであります。これを全部国内産でやるとなると、恐らくはかなり高くなるのではないかと思っております」「現在、月額で小学校は5,050円(現在5300円)、中学校は6,000円(現在6300円)、徴収させていただいておりますが」とお答えになりました。つまり値段の問題なんだと。

【想定】

  • 値段の問題だとしたら……給食費の県内の比較では、県から資料をいただきましたが、富山市の給食費は、1食当たりの比較で、高い方から3分の1位のところです。滑川市より高いです。
  • その野菜がない時期だから……ないときには、わざわざ使わなくてよいではありませんか。

「献立作成基本方針」でも、

6 食品の購入価格を勘案して食材を選定する。

  • 基本的に高級食材は使用しない。
  • 旬の食材を使用する。

輸入食材を購入することは、結局は、保護者が支払った給食費が最終的には海外に流れて行く。海外の産地、加工会社、運んでくる船や飛行機の輸送料や化石燃料も消費します。

地域の自然や文化、産業等に資する給食に、学校給食にも、SDGsの理念を貫いてほしいと思うんですね。

(11)保護者が支払う給食費は年間約16億円ぐらいと思いますが、それが最終的にどのくらい地元経済に還元され、どのくらい県外、海外に流出しているか、調査し回答されたい。

(12)今後、学校給食の地産地消の推進についてどう考えていますか。

(13)公益財団法人富山市学校給食会を通じての給食用物資の現在の一括購入方式についての認識を伺います。

(14)学校給食用物資の品目、規格、銘柄、産地及び各物資の成分表は、なぜ(公財)富山市学校給食会に文書公開請求しなければ入手できなくなったのでしょうか。

4、情報公開制度の改善 について

(15)情報公開制度で公文書情報を入手するには、情報公開条例に基づき文書開示請求をし、紙などの媒体で写しが交付され、コピー1枚10円の手数料がかかります。

公開請求者の負担を軽減し、紙資源消費の削減にもなる、公文書情報の電子データを無料で入手できる情報提供サービスの導入を検討されたい。

富山大空襲は、174機のB−29から111分間に渡って市街地が無差別爆撃され、およそ52万発の焼夷弾が降り注いだ。畳16枚に1発、中心地では畳1枚に1発の割合だったと言われています。「市街地爆撃目標区域」の99.5%を焼失し、全国一の“焼夷率”で、想定約3000人の方が犠牲になった。日本の地方都市の空襲でも最大の被害でした。このことは、もっともっと富山市から、内外に発信して行かなければなりません。

8月11日に北日本新聞社と富山テレビ放送の実行委員会主催、富山市が共催で開かれた、アカデミー賞3回受賞された映画界の巨匠、オリバー・ストーン監督をアメリカから招き、戦争や富山大空襲について共に考えるイベント「Think & Imagineオリバー・ストーンと考える未来の富山」に参加しました。

オリバー・ストーン氏は、「素晴しい未来を築くため、歴史の教訓に学ぶことが大切」と、アメリカン大学のピーター・カズニック教授は、「日本の人々、そして富山の人々には特別な責任があると思います。それは皆さんの経験、富山や広島、長崎の経験をメッセージとして、世界に伝えなければいけないということです」と語られました。

会場の参加者から、「10歳のときに富山大空襲を経験した。この悲惨な体験を小中学校に出前講座で伝えている」と、83歳の男性が発言されました。『富山大空襲を語り継ぐ会』のみなさんが、小中学校や公民館などへの出前講座に取り組んでおられることに本当に敬意を表します。2001年からこれまでに185回、述べ1万5千人に語り伝えたとのことです。

また会場から、20代の女子大学生が、「小学校の時に、何年に富山大空襲があったとか、だけ聞いてはいましたが…どれだけの被害があったのか知らなかった。これは恥ずかしいこと」と発言し、47歳の男性が、「戦争の恐さを知らなかった。私のようなものが戦争の恐ろしさを知るにはどのような手法があるか」と質問されました。

なぜこんな、日本全土で約50万人を超える市民が犠牲になった空襲にまで至ったのか、そこまでに日本が外国でどんな被害を与えたのか、そして富山大空襲はどんなものだったのか。富山市には、市民に富山大空襲を含め、戦争の歴史をきちんと伝える教育の場を提供していく責任があるのではないでしょうか。

(11)富山大空襲の体験談を聞いたり、実相を学ぶ場に、児童生徒どの子も必ず参加できるよう、富山市が責任を果たし、市教委としての取り組みも必要です。見解を伺います。

新たな語り部を育てるには、最低でも3年はかかるといいます。

いま、始めないと! 今なら間に合う! ぜひ、検討してください。

富山市郷土博物館にある、富山大空襲の資料を見てきました。

焼夷弾の燃え残り、防空ずきん、空襲警報発令中の看板、融けたガラス瓶、鉄瓶や釜、高熱で焼けた湯のみにお猪口。合計12点でした…。これを見るには『特別閲覧』として申請書を書き、準備に1週間ほどかかってようやく見ることができます。これまで申込みは、私たちの他には1件しかないとのことです。

(12)なぜ富山市は、大空襲の資料を常設展示しないのでしょうか?

8月のチューリップテレビでも紹介されていました、同じ8月1日から2日に空襲を受けた長岡市が2003年につくった、長岡戦災資料館を見てきました。リーフレットでは、「長岡戦災資料館は、長岡空襲を風化させることなく語り継ぐとともに、平和の尊さを次世代に確実に伝えていくため、市民の皆さんと一緒に作り上げていく施設です」と紹介されています。

長岡駅前徒歩3分の商店街のビルの1階と3階を市が借りて、資料館にしています。館長さんは、今年の3月まで消防長をされていた方だそうです。正規職員2名と臨時職員1名でスタッフ3名、空襲体験者のボランティアの方が当番制でいつもおられます。ここを拠点に、市民ボランティアと市がいっしょに、語り継ぐ活動や、平和教育などが行われています。

3階には、遺族から提供された、赤ちゃんからお年寄りまで空襲殉難者おひとりおひとりの遺影が掲げられ、犠牲者1486人のうち、いま350人分まで集まったと。「その人たちの生きた証を、後世に伝えていかないと」と説明してくださいました。

また、米軍が長岡に1発投下し、4人が亡くなった、模擬原子爆弾=パンプキン爆弾の実物大の模型も展示されていました。富山市にも、パンプキン爆弾は7月に4発投下され、合わせて64人が亡くなっています。

水戸市でも水戸市平和記念館を2009年につくっています。

富山市として収蔵している大空襲の資料は、先程の12点ですべて、と聞いてびっくりしました。(市民から寄贈された)戦時下の生活資料は100数十点ほどあるそうですが、大空襲の資料としては、あまりに少なすぎませんか?

およそ52万発も投下された焼夷弾が1発しか残っていないなんて、ありえないでしょう。市民の家庭に眠っている、空襲に関する資料などが、まだまだあるのではないでしょうか。

(13)いまこそ富山大空襲の遺物や資料、写真、証言などを、市民県民に広く呼びかけて収集し、一元的に保存・常設展示する資料館などを整備することが必要だと痛感しました。富山市民が、歴史と向き合い、未来へ、平和な日本と世界を築いていくためにも、平和教育の拠点としても必要です。見解を伺います。

【再質問】

SDGs「持続可能な開発目標」の重点項目はわかりましたが、これだって、開発目標のNo.16.「平和と公正をすべての人に」じゃありませんか?

「市の歴史を語る上で重要だ。資料を収集・保管し、研究者をはじめ多くの人に活用してもらえるように努めたい」。これは、先日の米騒動についての(教育委員会事務局長の)答弁です。富山大空襲についても言えることではありませんか?

チューリップテレビで2年前に放映されたドキュメンタリーで、アメリカでもヒロシマ、ナガサキとともにTOYAMA大空襲が展示されていました。

当の富山市が、展示がない、資料もわずかしかない、では、どうするのですか!

2年後は戦後75年です。そこに向けて、まずは、市として、(広く市民に呼びかけ、富山大空襲や戦災)資料の収集をすることから始めませんか?

さいごに、

昭和49年8月1日に建立された戦災復興祈念像(天女の像)は、いま現在、城址公園の北西の端に置かれていますが、人目に触れにくい場所で、知らない人も多いと思います。

(14) 市民の平和への願いのシンボルとして、大空襲の「爆撃中心点」だった城址公園南東の角地に移設されたいと考えます。僧侶を中心に集まった「富山大空襲を考える会」のみなさんが、署名活動をされています。見解を伺います。

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