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2021年9月議会 予算・条例案反対討論

カテゴリー: 議会報告

議案第168号 令和3年度富山市一般会計補正予算(第4号)
議案第177号 富山市大山竪穴住居跡展示館条例を廃止する条例制定の件

反対討論

日本共産党 赤星ゆかり

おはようございます。日本共産党の赤星ゆかりです。

ただいま議題となっております、
議案第168号 令和3年度富山市一般会計補正予算(第4号)
議案第177号 富山市大山竪穴住居跡展示館条例を廃止する条例制定の件
の2件について、一括して、日本共産党の反対討論を行います。

教育委員会所管の予算案と条例案ですが、この2件とも、貴重な歴史の遺産を埋めてしまうものであるということに、たいへん残念な思いです。

はじめに、議案第168号の補正予算案の中の「文化財保護事業費」、呉羽丘陵の民俗民芸村にある篁牛人記念美術館の東側斜面の法面保護工事の中で今年4月に見つかった巨大空洞を、コンクリートを発砲させたエアミルクを使って埋め固めるという「民族民芸村周辺巨大空洞対策工事」予算2000万円であります。

高さ、幅ともに2m奥行き53mにも及ぶこの巨大空洞は、太平洋戦争末期に、地鉄稲荷町駅のそばの工場でゼロ戦に搭載する整備工具や軍艦に使う蒸気配管の部品を製造していた会社が、空襲が激しくなる中、国の「工場疎開」命令を受けて、工場機能を移転させるために掘られたものらしいということです。だとすれば、敗戦から76年の時を経て初めて見つかった、貴重な戦争遺跡ではありませんか。

その空洞のそばには、篁牛人が瞑想に使っていたとされる長さおよそ8メートルの別の防空壕がありましたが、今回の工事のため、これを解体したということも、報道で知りました。委員会ではそのような報告は聞いた記憶がありません。それなら、篁牛人記念美術館の一部として残すことも検討して欲しかったし、今回見つかった空洞も、高さや幅が同じことから、この防空壕とつながっていたのではないかとみられるとのことですから、その面からも調査が必要です。

国土交通省の調査では、2018年の時点で全国に現存する特殊地下壕はおよそ8500か所あり、県内は11か所、教育委員会によれば、この周辺には、わかっているだけでも4つの防空壕があり、これはその一つで、他の洞穴についても、鉄格子で入口を塞いであるが、中の調査は行われていないとのことです。

この巨大空洞について議会に報告があったのは、今回が初めてですけれども、現在の日本の土木技術を持ってして、洞穴を保存しながら、法面工事を進める工法はないのか、調査はし尽くされたのでしょうか。

これは、富山大空襲の遺物の収集や調査もたいへん遅れて始めた富山市にとって、本当に貴重な、実物として存在する戦争遺跡です。子どもたちの教材としても、実際のものは非常に効果的です。

私は、かつて沖縄に行って、「ガマ」と呼ばれる沖縄戦時に旧日本軍が住民とともに潜伏し、「ひめゆり学徒隊」に象徴される、若い女学生たちが傷病者の看病に当たった本当の、真っ暗な、自然洞穴に入る経験をしました。

戦争が最終局面に向かって全国で空襲が激化していった中での「工場疎開」について、政府の閣議決定と地方への伝達、富山ではどんな企業がどのように応じたのか、富山大空襲との関連など、調査すべきことは山ほどあるのではないでしょうか。法面、洞穴ともに十分な安全対策を行ったうえで、周辺の他の防空壕も含めて、詳しい調査を行うべきではありませんか。コンクリートで埋めてしまったら、取り返しがつきません。予算は、「埋め固める」ためでなく、十分な安全対策と、徹底した調査のために使われたいと思います。

つづきまして、議案第177号の富山市大山竪穴住居跡展示館条例を廃止する条例制定の件は、大山図書館の敷地内にある展示館を今月末で廃止し、10月に入ってすぐに上物の建屋を解体、展示している縄文中期の竪穴住居跡は、現地で「砂や土をかぶせて埋める」と総務文教委員会で答弁がありました。

これは、大山地域公共施設複合化事業の着工に伴い、上物が邪魔になるからということだそうです。昨年9月の委員会でも自民党委員の質問に、企画管理部から「埋める」旨の答弁があったことが確認できましたが、私は、その時点で重大問題だとの認識に至らなかったことを深く反省します。

平成7年3月31日、富山県埋蔵文化財センター編集、大山町教育委員会発行の「町道東黒牧上野山線改良事業に係る埋蔵文化財発掘調査報告 東黒牧上野A地区」(奈良遺跡文化研究所「全国遺跡報告総覧」より)を、読みました。

この竪穴住居跡は、平成6年、旧大山町東黒牧上野遺跡A地区において、町道改良事業に先立ち発掘調査が実施されたところ、「縄文時代中期(現在から約5500年から4500年前)の竪穴住居跡6棟や多数の穴が発見され」「この中には、富山県内でも類を見ない極めて残りの良好な住居跡も含まれて」いるとあります。

道路起点付近の東黒牧上野遺跡A地区は、平成元年に(富山国際)大学のグランド建設に伴って、縄文時代中期中頃の竪穴住居跡が29棟も発見されたため、設計変更された後に、県史跡指定地となった箇所の隣接地である。このため、その保護措置は慎重な取り扱いが要求され、関係機関との協議を重ねた結果、今年度の調査に至った。

6棟の竪穴住居跡や多数の遺物が発見されたため、再度協議を行なった。しかし、地形・工法上で設計変更が困難な箇所のため記録保存を余儀なくされるに至り、調査の完了後、遺存状態が良好な住居跡1棟を切り取り移設した。今後、これを復元・公開し、町の文化振興や活性化に広く活用していきたいと考えている。 (中村)

と、記されています。今回、「慎重な取り扱い」について、関係機関との協議が行われたという報告はありません。

また、この発掘調査は、大山町教育委員会が主催し、調査にあたって富山県埋蔵文化財センターから調査員の派遣を得て、 平成6年7月4日から11月18日までの延べ47日間を要し、総発掘面積は約1750平方メートル。発掘作業にあたっては、大山町シルバー人材センターや地元企業など町民の手で発掘されたことも。

住居跡切り取り運搬、復元に1275万円余、展示館建設主体工事に2070万円余、電気設備工事その他合わせて合計約3800万円をかけた事業だったことも展示館リーフレットに記されています。

この竪穴住居跡が、当時の町民や県がどれだけ重視し労力も費用もかけて発掘、移設、復元、保存した、たいへん貴重な遺跡であるのか、今回の議案審査に当たって、検証が不十分です。また、

掘り方の深さが70cmと県下でも、極めて深い掘り方を残す竪穴住居跡である。

「特記事項」として、県下ではめずらしい石組みを施す炉をもった縄文中期中葉の終わり〜後葉の小型竪穴住居跡を検出したこと。

と、その特徴も貴重なものであることがわかります。

展示館に隣接する大山文化会館ホールがすでに廃止されているため、文化行事などのついでに来館する人もいなくなった上に、展示館は無人で普段は鍵がかけられ、「観覧を希望される方は、(恐れ入りますが、)隣の大山図書館へ鍵を取りに来てくださるようお願いします」と張り紙がしてあります。

中に入ると、真ん中に住居跡、その周りに東黒牧上野遺跡および立山山麓スキー場の近くの花切西遺跡と花切遺跡からの出土品、縄文土器や石斧(せきふ)などの石器、ヒスイや黒曜石などが展示してあり、壁には、竪穴住居のことや、発掘された遺跡を簡単に紹介するパネルや発掘現場の写真などが展示してありますが、そこにあるだけなので理解が深まりません。

「おおやまの移り変わり」という歴史年表のパネルは、まだいいとして。

「青森県教育委員会1990年の『図説ふるさと青森の歴史』より」とあります竪穴住居の生活を想像したイラストや、(富山市埋蔵文化センター1999『解説書富山市北代縄文広場』より)とあります石器や縄文人の食料の例のパネル-。これらは借り物でしょうか。

総務文教委員会では、「来館者がほとんどいない」「役目は終わった」などの発言が聞かれましたが、現在のような展示や運営方法では、人が来なくなるのは当然ではないでしょうか。平成7年3月の発掘調査報告書にも、保存、活用が期待されていたのに、じゅうぶんな活用が図られてこなかったのではないか。

展示館の完成は平成8年3月です。発掘の翌年度、大山町では新たに大学の考古学を専攻した専門員を採用し、大山町議会では「亀谷の民俗資料館を含めた一帯を調査し、町の歴史や文化が一望できるような施設を考慮に入れ鋭意検討していただきたい」と要望もされています。(大山町議会平成6年12月定例会・平成7年3月定例会会議録より)

その後、平成17年に合併してから後の方が長く、この貴重な遺跡をなぜもっと富山市として重視して十分活用してこなかったのか、それこそが問題で、廃止ではなく移転改築・保存、研究と展示内容拡充こそ必要だと気付きました。それもせずに「役目は終わった」などといって、埋めてしまうことを議会が容認したのでは、あまりに無責任と批判を受けても仕方がないのではないでしょうか!

一方で、富山市北代縄文広場・縄文館は、今年の5月に来場者数述べ20万人を突破しています。地域住民のボランティア活動も盛んだそうです。

青森県の三内(ない)丸山遺跡も、県営野球場を造ろうとして事前発掘調査から本格的に、縄文時代前期から中期の約1700年にわたって定住生活の、日本最大級の縄文集落跡の発見へとつながり、国史跡、世界文化遺産登録に至っています。

今回の、東黒牧上野遺跡から出土し移設・保存されてきた貴重な約5千年近くも前の縄文時代中期の竪穴住居跡を、砂や土で埋めてしまうというのは、本当に信じられません。富山市における縄文文化の研究、いえ、大山地域、富山市だけの問題ではありません。日本の縄文文化の研究にもかかわるものだと思います。

適切な場所に移設して展示・公開し、市民とともに大切に保存・活用し、県内や県外の他の遺跡や研究機関とも連携して、広域的な調査研究も深めるべきではありませんか。

旧大山町と大山町自治振興会連合会が発行した町制50周年記念、自治振興会連合会設立25周年記念誌「おおやまのあゆみ-ふるさと再発見Ⅵ」にある当時の大山町教育委員会学芸員の小松博幸さんの解説の最後に、このような言葉があります。

「遺跡は守るように努めないと失われます。それらは私たちの祖先が残したものであり、現在の問題点も明らかにしてくれます。自分たちの存在してきた証を大切にし、後世へ伝えたいものです。」

2つの議案ともにかかる、重い言葉だと思いませんか。

歴史、文化を大切にしてこそ、その地域の本当のidentity、個性や魅力が見えてきます。ひいては、富山市全体の魅力が深まり、「都市の格」というものが向上するんじゃないでしょうか。

片や、およそ1万年もの長きにわたって続いた平和の遺跡、此方、人類が犯した戦争の遺跡、どちらも、取り返しのつかないことを議決したら、後世から問われるのは、議会の責任です。

立ち止まって、もう一度慎重に調査を行い、議員間討議を行い、専門家の見識、ご意見もお聞きして、責任ある判断をしようではありませんか。

以上、反対討論といたします。

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