日本共産党 赤星ゆかり
1.はじめに、小中学校普通教室へのエアコン設置についてうかがいます。
【1】エアコン設置の財源確保について
小中学校の普通教室へのエアコン設置のため、今回、合わせて50億円の債務負担行為として提案されています。4年前の3月議会で、当時の麻畠教育長が私に初めて「調査研究する」と答弁されてから4年半です。
今回、小・中学校、一気にやると。仮に国が補助採択しないとしても、何としてもやると。気持ちいいです! 超気持ちいい! やると決断されたら早いわけです。
昨年の6月議会でも、「1日も早く」という請願を採択して、議会として決断を迫っていたら、もう1年早まったかもと思うと、返す返す口惜しいですが…。
(1)さて、この費用は、どのように確保していくのか伺います。
【2】都市基盤整備基金ではなく、学校エアコン設置等を最優先に!
一方で、都市基盤整備基金に6億円積み立てる予算案が出されています。
都市基盤整備基金は条例の第5条で、都市基盤整備に関する事業の財源に充てる場合に、使途が限られています。これまで、富山駅周辺整備や、まちなか居住推進事業や、市街地再開発事業などに充てられてきました。都市基盤整備基金はH29年度末残高が23億2千万円余あります。
(2)これまでも主張してきました。この6億円は都市基盤整備基金ではなく、仮称「教育環境整備基金」を作って、学校のエアコン設置や耐震化など、教育施設充実の財源として確保してほしいと思うのです。見解を伺います。
2.市街地再開発事業とまちづくりの課題についてうかがいます。
【1】中央通りD北地区市街地再開発事業について
(3)中央通りD北地区市街地再開発事業は、総事業費約140億円、補助金約50億円と(6月議会で答弁がありました)。補助金の富山市負担分と、財源はどうするのかお答えください。
【2】再開発事業の耐用年数について
森市政になってからの再開発、2005年3月に完成したグランドパーキングの西町・総曲輪地区から、新規の中央通りD北地区まで、再開発ビルの耐用年数は、用途によって31年から47年とのことです。
(4)人口減少時代のその先に、これだけ大量の再開発ビルが建て替えの時期を迎える。このことにどう対応するのか、ビジョンはありますか?
【主張】2036年から2067年までに11の再開発ビルが耐用年数を迎えます。「富山市人口ビジョン」では2060年の人口を33万人と推定していますが、その前後に6つの再開発のマンションが一気に来ます。この問題、今後も議論していきましょう。
【3】建物の絶対高さの規制について
中央通りD北地区市街地再開発事業は、「住宅」部分が地上25階建てのマンション、高さが90mにもなる、富山駅以南で一番高い建物になると言われています。この再開発が議題となった8月22日開かれた第38回富山市都市計画審議会において委員から、「なぜ建物の高さの規制がないのか」「その背景は?」というご意見が出されました。
「立山仰ぐ特等席。」をキャッチフレーズにする富山市で、また一つ、立山遮る高層マンションが。街中から眺める空も、どんどん遮られて行きます。今建設中の総曲輪3丁目地区再開発の23階建てマンションも、富山大橋から見れば、完全に立山連峰の眺望の一画を遮ります。遠くから、上空から見ても、中心部に無秩序に高い建物ができ続ける。いちど建てば、何十年もその状態が続く。
(5)富山市が、2007年11月1日に導入した「高度地区」では、商業地域に高さの制限はありません。ここは見直しをして、さらにブラッシュアップして、商業地域にも絶対高さ制限の導入を検討するべきではありませんか。見解を伺います。
*高度地区:都市計画法で定められた地域地区の一つ。市街地の環境の維持や土地利用の増進を図るため、建築物の高さの最高限度または最低限度が定められている。
*ブラッシュアップ:さらに磨きをかける、さらによくする
*絶対高さ規制:市街地の景観や住環境を守るために建築物の高さの上限を定める規制。
【主張】なんで25階建てにする必要が?と都計審で質問したら、「採算のため」だと言われました。法律の範囲内だからと、なんでもやっていいわけではない。経済活動のために、富山市民みんながどう思うかおかまいなしに高層ビルを建てることが「健全」でしょうか。「まちづくりにも、作法がある」ですよ。私は、言い続けていきます。
【4】まちなかのトイレ事情について2点、質問します。
(6)総曲輪の西別院の南東角地にある公衆トイレは、富山市のものですね(環境センターが管理)。しかし、中へ入ってみると男女共用で驚きました! まちの真ん中にあるこのトイレ、男女別、バリアフリーのトイレにできませんか?
(7)その近く、「地場もんや総本店」は、年間25万人を超える買い物客で賑わっています。ですがトイレは1階の奥の奥にあり、入り口には数段の段差、中も狭いトイレです。4階の多目的トイレに行けと言われても、歩行器をお使いの90歳代のお母さんと買い物に訪れるという男性は、やはり困ると話しておられました。
「地場もんや総本店」は「まちの駅」になっています。「まちの駅」の機能の第一は「誰でもトイレが利用でき、無料で休憩できる」こと。1階の利用しやすいところに多目的トイレを整備できませんか?
3.学童保育の拡充について 質問します。
【1】放課後児童健全育成事業特別拡充事業で大規模「子ども会」は解消できるか?
「子ども会」が条例基準の概ね40人以下を大幅に超えているなどの7つの校区で、予算額1億1200万円余りの放課後児童健全育成事業特別拡充事業が新設され、今回、堀川南と山室で市が土地や建物を用意して貸し出す、具体的な事業者が提示されました。手を挙げてくれる事業者があって、まずはよかったなと思います。
(8)そこで気になるのは、これによって民間の学童クラブが新設なる来年度も、なお引き続き「子ども会」が条例基準の40人を大きく上回る場合の対策を伺います。
【2】他の5つの校区での開設の見込みは?
11日の金井議員への答弁で、7つのうち5校区で申込があったとのことです。
(9)まだ申込のない校区を含め、開設の見込みはどうですか?
【3】「富山市子ども・子育て支援事業計画」の計画期間
「富山市子ども・子育て支援事業計画」の計画期間は、平成31年度までの5か年間となっています。期間満了後の平成32年4月1日には、学童保育の最低基準が条例化されてから満5年になります。すべての「子ども会」でも条例基準に合致し、厚労省の運営指針を満たす学童保育となるようにしなくてはいけないと思います。
(10)市全体としての学童保育のあり方として、計画の最終年度に向かって、どのように取り組んで行くのか伺います。
4、富山大空襲を語り継ぎ、世界に発信を!
富山大空襲は、174機のB~29から111分間に渡って市街地が無差別爆撃され、およそ52万発の焼夷弾が降り注いだ。畳16枚に1発、中心地では畳1枚に1発の割合だったと言われています。「市街地爆撃目標区域」の99.5%を焼失し、全国一の“焼夷率”で、想定約3000人の方が犠牲になった。日本の地方都市の空襲でも最大の被害でした。このことは、もっともっと富山市から、内外に発信して行かなければなりません。
8月11日に北日本新聞社と富山テレビ放送の実行委員会主催、富山市が共催で開かれた、アカデミー賞3回受賞された映画界の巨匠、オリバー・ストーン監督をアメリカから招き、戦争や富山大空襲について共に考えるイベント「Think & Imagineオリバー・ストーンと考える未来の富山」に参加しました。
オリバー・ストーン氏は、「素晴しい未来を築くため、歴史の教訓に学ぶことが大切」と、アメリカン大学のピーター・カズニック教授は、「日本の人々、そして富山の人々には特別な責任があると思います。それは皆さんの経験、富山や広島、長崎の経験をメッセージとして、世界に伝えなければいけないということです」と語られました。
会場の参加者から、「10歳のときに富山大空襲を経験した。この悲惨な体験を小中学校に出前講座で伝えている」と、83歳の男性が発言されました。『富山大空襲を語り継ぐ会』のみなさんが、小中学校や公民館などへの出前講座に取り組んでおられることに本当に敬意を表します。2001年からこれまでに185回、述べ1万5千人に語り伝えたとのことです。
また会場から、20代の女子大学生が、「小学校の時に、何年に富山大空襲があったとか、だけ聞いてはいましたが…どれだけの被害があったのか知らなかった。これは恥ずかしいこと」と発言し、47歳の男性が、「戦争の恐さを知らなかった。私のようなものが戦争の恐ろしさを知るにはどのような手法があるか」と質問されました。
なぜこんな、日本全土で約50万人を超える市民が犠牲になった空襲にまで至ったのか、そこまでに日本が外国でどんな被害を与えたのか、そして富山大空襲はどんなものだったのか。富山市には、市民に富山大空襲を含め、戦争の歴史をきちんと伝える教育の場を提供していく責任があるのではないでしょうか。
(11)富山大空襲の体験談を聞いたり、実相を学ぶ場に、児童生徒どの子も必ず参加できるよう、富山市が責任を果たし、市教委としての取り組みも必要です。見解を伺います。
新たな語り部を育てるには、最低でも3年はかかるといいます。
いま、始めないと! 今なら間に合う! ぜひ、検討してください。
富山市郷土博物館にある、富山大空襲の資料を見てきました。
焼夷弾の燃え残り、防空ずきん、空襲警報発令中の看板、融けたガラス瓶、鉄瓶や釜、高熱で焼けた湯のみにお猪口。合計12点でした…。これを見るには『特別閲覧』として申請書を書き、準備に1週間ほどかかってようやく見ることができます。これまで申込みは、私たちの他には1件しかないとのことです。
(12)なぜ富山市は、大空襲の資料を常設展示しないのでしょうか?
8月のチューリップテレビでも紹介されていました、同じ8月1日から2日に空襲を受けた長岡市が2003年につくった、長岡戦災資料館を見てきました。リーフレットでは、「長岡戦災資料館は、長岡空襲を風化させることなく語り継ぐとともに、平和の尊さを次世代に確実に伝えていくため、市民の皆さんと一緒に作り上げていく施設です」と紹介されています。
長岡駅前徒歩3分の商店街のビルの1階と3階を市が借りて、資料館にしています。館長さんは、今年の3月まで消防長をされていた方だそうです。正規職員2名と臨時職員1名でスタッフ3名、空襲体験者のボランティアの方が当番制でいつもおられます。ここを拠点に、市民ボランティアと市がいっしょに、語り継ぐ活動や、平和教育などが行われています。
3階には、遺族から提供された、赤ちゃんからお年寄りまで空襲殉難者おひとりおひとりの遺影が掲げられ、犠牲者1486人のうち、いま350人分まで集まったと。「その人たちの生きた証を、後世に伝えていかないと」と説明してくださいました。
また、米軍が長岡に1発投下し、4人が亡くなった、模擬原子爆弾=パンプキン爆弾の実物大の模型も展示されていました。富山市にも、パンプキン爆弾は7月に4発投下され、合わせて64人が亡くなっています。
水戸市でも水戸市平和記念館を2009年につくっています。
富山市として収蔵している大空襲の資料は、先程の12点ですべて、と聞いてびっくりしました。(市民から寄贈された)戦時下の生活資料は100数十点ほどあるそうですが、大空襲の資料としては、あまりに少なすぎませんか?
およそ52万発も投下された焼夷弾が1発しか残っていないなんて、ありえないでしょう。市民の家庭に眠っている、空襲に関する資料などが、まだまだあるのではないでしょうか。
(13)いまこそ富山大空襲の遺物や資料、写真、証言などを、市民県民に広く呼びかけて収集し、一元的に保存・常設展示する資料館などを整備することが必要だと痛感しました。富山市民が、歴史と向き合い、未来へ、平和な日本と世界を築いていくためにも、平和教育の拠点としても必要です。見解を伺います。
【再質問】
SDGs「持続可能な開発目標」の重点項目はわかりましたが、これだって、開発目標のNo.16.「平和と公正をすべての人に」じゃありませんか?
「市の歴史を語る上で重要だ。資料を収集・保管し、研究者をはじめ多くの人に活用してもらえるように努めたい」。これは、先日の米騒動についての(教育委員会事務局長の)答弁です。富山大空襲についても言えることではありませんか?
チューリップテレビで2年前に放映されたドキュメンタリーで、アメリカでもヒロシマ、ナガサキとともにTOYAMA大空襲が展示されていました。
当の富山市が、展示がない、資料もわずかしかない、では、どうするのですか!
2年後は戦後75年です。そこに向けて、まずは、市として、(広く市民に呼びかけ、富山大空襲や戦災)資料の収集をすることから始めませんか?
さいごに、
昭和49年8月1日に建立された戦災復興祈念像(天女の像)は、いま現在、城址公園の北西の端に置かれていますが、人目に触れにくい場所で、知らない人も多いと思います。
(14)市民の平和への願いのシンボルとして、大空襲の「爆撃中心点」だった城址公園南東の角地に移設されたいと考えます。僧侶を中心に集まった「富山大空襲を考える会」のみなさんが、署名活動をされています。見解を伺います。
■関連資料
(1)富山市の市街地再開発事業の一覧です
(2)「まちなか居住推進事業費」の実績資料です(色つけは市議団)
事業者向けの補助金は、マンション1室当たり100万円の補助。
H26の5,000万円は「アパ」に、H28の5,000万円は「タカラレーベン」に補助金が支払われました!